我的讀書筆記

最近又回復被課題追趕著過日子的生活
沒什麼好更新的
除了我這幾天很努力的擠出來的課堂課題
有關於N.Luhmann的 信賴 一書
目前上到第2章

以下是我在課堂BBS上所張貼的comment(日文)



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一章と二章をあわせて一気に読んだ感想、抽象で難しい日本語でした。
ルーマンが提示しようとしたのは輪郭が曖昧で、抽象な理論である。なかなか確実なイメージが捕らえない。自分の持っている考えや知識を一生懸命ルーマンの理論にあてはまり、それでルーマンを理解しようとしかない。
コメントは、一章と二章あわせてアップさせていただきます。
まずは一章の「信頼」に対する解説、
中国昔からは「人無信不立」という説があって、人に「信」がなければ社会に立てられない。
出発点は倫理学ですけど、解釈によって社会法的な理解もできる。こうしてみると、確かにルーマンがp1~2で描いたとおりに、「信頼」なきには、人間は世界の複雑性に無媒介で直面することには耐えられない。
従って、「信頼」は社会的な複雑性を減少するメカニズムになりうる。しかし、疑問になるのは、ルーマンの「信頼」がこの「信」そのものであるのか。
続いて読んでみると、ルーマンが言っている「信頼」が極めて曖昧で複雑である。英語で言えばそれは信頼のtrustか、信用、信頼のconfidenceそれでも信義のfaithか。
むしろその凡ての集合体みたいな感じがする。
そして、複雑性に関するルーマンの詭弁らしい言葉:複雑性の縮減によって作った複雑性。世界を了解するため、その複雑性を縮減しなくてならない。同時に我々の複雑性が増えてくる。
なぜ複雑性、信頼についてきちんと定義、語らないかと最初は思ったが、二章読み終わったら、ふっと思い出したのは老子の言葉である。
「道可道、非常道。名可名、非常名。」「道」を語ろうとしたら、不変永久な道(常道)にあらず。「名」を定義しようとしたら、その定義の動作によって元の「名」から離れた。
ルーマンはこの本であえて「信頼」についてきちんと定義しないのも、この理由だろうと思う。
そして二章にルーマンが検討した時間の概念。自分なりの解釈をすれば、時間は「信頼」にとって変数であり、
例えばすごく短い時間の間に、複雑性がある程度縮減でき、
例えば今から一秒後の私はまだ生きているかという質問に対して、発生可能な複雑性は少ないから、すぐに「はい、生きてると思う」と答えできるだろう。
しかし20年後の私は生きているかどうかと言う質問されたら、環境問題やらテロ遭遇やら、天災問題やらいろんな可能性があって、複雑ですぐ答えできなくなる。
でも、現代医療システムを信頼し、人間の平均寿命という報道を信頼し、政府の防災政策を信頼し、これら信頼を基づいて、「多分、まだ大丈夫だろう」と自分はおそらくこう答える。
まさにp25で提示されたように「信頼は多かれ少なかれ相変わらず未規定な複雑性を持った将来を縮減するために必要とされるのである」。
また、ルーマンの言う「道具的」「表出的」と言う区別について、道具的な方向付けは、期待される結果へと関係するというところは、ギデンスのいうシステムへの信頼と部分的に重なっていると気がする。
つまり専門家の知識、専業に信頼する、そしてその信頼によってある程度将来の出来事に約束できる。しかし出来事の制御に通じて複雑性がもっと増えてくる。
それを現代社会に反映していると、技術、化学文明の発展によって生活は便利になったが、可能な諸々のことも増大してきた。そして「(技術によって)生み出される将来の複雑性に耐えうるため、一層多くの信頼が要求されてくる」ということが理解できるようになった。

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